忍者ブログ
法政大学/学生運動/斎藤いくま公式ブログ
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

※社会科学研究会のビラを転載します
学祭初日は日比谷へ!

3万法大生は団結してたたかおう!


法大当局主催の学祭なのか!

 いよいよ自主法政祭が始まります。私たちは、今年度自主法政祭の一切の問題は、①法大当局の学生支配の不正義を訴え続けてきた文化連盟三役をはじめ10人の学生が、法大当局と国家権力の弾圧によって獄に閉じこめられていること、②社研と哲学研究会の企画が、「文化連盟所属」という理由で排除されていること、にあると訴えてきました。
 何よりも許せないのは、「学祭実行委員会が法大当局の主張を完全に丸呑みし、言いなりになっていること」です。企画排除を指示したのは法大当局です。それに何の批判もなく、唯々諾々と従ったのが学祭実です。それを恥じることもなく、「法大は増田総長のもの。大学祭の主催は理事会。学生は言うことを聞くしかない」と開き直っているのが学祭実です。これのいったいどこが「自主法政祭」なのか! 私たちは法大当局のコマになってもなお、「自主」という冠をつけさせられて喜ばなければならないほど惨めな存在なのか!こんな「自主」法政祭は絶対に認められない!

学生の自主と団結にこそ可能性が

 今こそ、自主法政祭の誇りと団結をみんなに訴えたい!  文化連盟は昨年の『決起要綱』でこう宣言しています。
 「自主文化創造とは何たるか、主体的活動とは何たるかを、大学の自治とは何たるかを問い直す時がきた。我々はサークルとは何か文化活動とは何か、そして大学とは何かを自らの頭で思考し定義を確立し、止揚しなければならない。
 …ここ数年の法政大学の姿はかつての国家総動員法統制下のそれを彷彿とさせるものがある。反体制を徹底的に弾圧し批判精神を根絶やしにし、その焼け野原に築かれた都は監視カメラが跋扈する監獄とは笑止千万である。学友達は警察力に震え上がり、感覚を麻痺し弾圧に加担する者まで出現している今日、誰かが大義に殉じる覚悟でもって決起しなければならない。そしてそれは我ら無冠の学徒の立ちたるところである。学友のため、後世のため、我々文化連盟は学徒の触覚たらんと敢然と決起する。恥を厭わぬ情けなき世代を駆逐し、悪しきニヒリズムと退廃から若き魂を救済すべく我ら堅く正義を信じ邁進するのみである。…愛校心を以て我ら全学決起の先兵とならん」。
 3万法大生にはこれを実現していく力があります。それを実践してきたのが、誇り高い自主法政祭の歴史ではなかったのか。それが踏みにじられるのではなく、企画排除、飲酒規制などあらゆる介入をはね返して私たち自身の意思と力で自主法政祭を成功させよう!

法大生は今こそ怒り、行動へ!

 法大生は、自主法政祭の成功をかけて、11・1労働者集会に駆けつけよう! 今こそ怒ろう! 「おかしいとは思っているが声をあげられない」、こんな現実は絶対に突破できます。キャンパスの主人公は学生であり、法大当局など学生を暴力支配して黙らせている限り存在できる小さな存在であり、私たちが団結して行動すれば何でも実現していく力があります。学祭実のように「長いものには巻かれろ」と誇りを売り渡すのではなく、現実を変えることは絶対に可能です。
 その展望が11月集会にあります! 全世界の労働者・学生が、法大生との団結を求めて集まります。今や法大の闘いは(同じく法大当局の不正義も)世界に轟いています。団結する仲間はクラスの中から地球の裏側にまで無限にいます。11月1日の1万人結集の主体となり、それを実感してほしい。ともに声をあげよう。文化連盟とともに闘おう! 11月1日の学祭初日は未来をかけて日比谷野音に集まろう!


増井真琴君(文3)の公判意見陳述から №3

「法大では何が問題となっているのか? 一言で言うと、それは教育の民営化であり、大学の新自由主義的再編です。日本における新自由主義の動向と法大の情勢は軌を一にしており、新自由主義とは何かを理解することなしに、いまの法大の現状を認識することはできない。…わずかここ10年ほどの間で、今まで大学でごく当たり前に行われてきた人間の表現行為のイロハ中のイロハ、ビラをまく、立て看板を出す、演説をする、というただそれだけの行為が逮捕投獄の理由になっている。これは他でもなく、新自由主義がもたらした教育の民営化の帰結です。なぜなら一私企業と化した大学においては、これらの政治的表現行為は自社の『営業権』に反する唾棄すべき所業だからです。これらの行為は公共の福祉に反するから犯罪なのではない。お金儲けにならないから犯罪なのです」
「…かつての法大がそうであったように、映画のことを考えていたり、文学のことを考えていたり、政治のことを考えていたり、演劇のことを考えていたり、音楽のことを考えていたり、革命のことを考えていたり、あるいは何も考えていなかったりする。そういう有象無象が、意味不明なビラをまき散らしたり、下品な立て看板をつくったり、ウダウダ一緒に酒を飲んだりする、そういうキャンパスの中にこそ新しい創造の息吹が躍動する可能性があるんだということでした。つまり一言で言えば『急がば回れ』ということです。文化創造には時間がかかる。…人類史においてある世代にできることは、その次の世代に対して胸をワクワクさせられるような文化を残すことだけです。いまの法政大学は僕たちの世代がその次の世代に向けて新しい文化を生み出す条件を奪っている。ただこの一点のみをもって、今の法政大学の行いは、大学(ユニバーシティ)の本義に反する犯罪的な所業だと思います」
「…本当に想像力が奪われている。僕たちは今一度想像を取り戻さなければなりません。『ここではない世界は可能だ!』ということを彼らに証明しなければならない。ぼくたちひとりひとりの団結した力が、ここではないもう一つの世界を必ず見せてくれる。団結していきましょう!」
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
ブログ内検索
法大闘争とは何か?
バーコード
アーカイブ
カウンター
アーカイブ
カレンダー
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
カウンター

Copyright © [ 3・14法大弾圧を許さない法大生の会 ] All rights reserved.
Special Template : 忍者ブログ de テンプレート and ブログアクセスアップ
Special Thanks : 忍者ブログ
Commercial message : [PR]