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法政大学/学生運動/斎藤いくま公式ブログ
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意 見 陳 述

2015年2月23日  武田雄飛丸

私は無実である。「無罪判決」以外にはありえない。
本事件は、法政大学・田中優子総長と国家権力=警視庁公安部が結託したデッチあげの政治弾圧であり、その狙いは、法大闘争をはじめとする全国学生運動への攻撃だ。今や大学は、戦争へ突き進む安倍政権にとって最も重大な焦点と化している。
 田中優子に代表される既成「左翼」は、「反戦・反安倍」を騙りながら、キャンパスでは「大学の戦争協力阻止」を掲げて闘う学生を弾圧し、安倍の先兵としての本性を露わにしている。私はなんとしても本公判で無罪をかちとり、法大闘争と全国学生運動の爆発で田中優子と安倍を串刺しにする決意である。

 時代は戦争へと向かっている。安倍政権による侵略戦争国家化攻撃が、今通常国会における集団的自衛権行使関連法(安保法制)制定と憲法改悪(9条破棄)というかたちで、推し進められようとしている。本事件の「政治弾圧」としての本質は、この事実を抜きにして語ることはできない。
 「08年リーマン・ショック」以来の世界大恐慌が深まり、アメリカを先頭とする大国間の市場争奪戦が激しさを増し、それは「中東(イラク・シリア)」「ウクライナ」「東アジア」で現実の戦争として火を噴こうとしている。いや、現実に、もうすでに戦争は始まっている。「日本人人質事件」を口実に、安倍政権は「テロ撲滅」「邦人救出」を叫んで、「有志連合」の中心で自衛隊の海外派兵と武力行使にのめり込もうとしている。
 戦争とは、自国の労働者民衆を兵士としてかり出し、ほんの「1%」の資本家や政治家の利益のために他国の民衆と殺し合わせることだ。安倍の唱える「国民の生命と安全を守る(ために戦争をやる)」など大ウソだ。戦争とわれわれの生命は根本的に対立する。安倍がいかに労働者民衆の生命と尊厳を踏みにじっているか、それは福島を見れば、沖縄を見れば、そして非正規職に突き落とされる青年の現実を見れば一目瞭然ではないか。
 安倍政権は戦争をやろうとしている。大学がそれに全面加担しようとしている。そして、戦争に反対して闘う労働者・学生の運動を暴力的につぶそうとしている。ここに本事件の本質がある。私は、全世界で大失業と戦争に抗して立ち上がる数千万数億の民衆と連帯・団結し、この弾圧を必ずうち破る。

1月16日、『産経新聞』が一面で「東大軍事研究解禁」と大々的に報道した。東京大学の濱田総長は、「軍事研究原則禁止」とする教職員組合との協定を事実上破棄し、「軍民両用技術研究を容認する」旨の声明を発した。これは、昨年5月に防衛省から軍事研究の協力要請を受けた東大が、上記協定を理由に拒否したことを考えると極めて大きな転換だ。背景には、安倍政権が「成長戦略」の一環として掲げる「大学改革」、そして一昨年12月に閣議決定した「大学の軍事研究の有効活用をめざす国家安全保障戦略」、そして昨年の「7・1閣議決定(集団的自衛権行使の容認)」という国家意思がある。「戦争のできる国づくり」へ向け、大学の戦争動員が本格化しつつあるのだ。
 安倍の「大学改革」は、本年4月から施行される改定国立大学法人法および改定学校教育法により、いよいよ全面的に具体化される。その中身は、人事権の剥奪などによる「教授会自治」解体と総長権限強化だ。また、2004年の国立大学法人化により、国立大学は経営協議会の「2分の1以上」を学外者とすることが定められていたが、これも「過半数」を占めるように変更された。これにより、国家と独占資本による大学支配がよりストレートに貫徹されるようになる。
 さらに、昨年9月2日付の『東京新聞』は、「文科省が同省の審議会である『国立大学法人評価委員会』での論議を受け、国立大の組織改革案として『教員養成系、人文社会科学系の廃止や転換』を各大学に通達した」と報道した。要は、「お国のためにならない」あるいは「金にならない」学問は切り捨てろということだ。まさに「戦時体制への移行」とも言うべき事態に他ならない。
 また、私立大学においても助成金が削減されて大学間競争が激化する中、文科省は「トップ型」と「グローバル化牽引型」からなる「スーパーグローバル大学」に、法政大学を含む37校を選出。2023年までの間に一大学あたり最高約4億2千万円の補助金を毎年支給するとしている。「グローバル化」の美名の下、「大学改革」を競わせ、国家の意向にどの程度沿っているかに応じて大学を階層化することで、私大をも強力な国家統制下に置こうという狙いだ。
 こうした中、防衛省は今年、過去最大の5兆円もの防衛予算を計上し、その内の約20億円を「大学と連携して最新の軍事技術開発を行うための基金制度創設」にあてることを発表した。たたでさえ教育への公的支出がいわゆる「先進諸国」最低クラスの日本で、ますます大学教育への予算を削る一方、軍事費を膨大化させ、軍事研究に協力しなければ大学間競争に生き残れない構造がつくられようとしている。今回、「軍事研究原則禁止」を明文化していた東大が転向したことで、戦後大学で根強く守られてきた「軍事忌避」の伝統が一挙に崩されようとしていることも、この構造の成立に拍車をかけるだろう。
 「大学の戦争動員」は軍事技術開発という面のみならず、学生を兵隊として戦場へ動員する人的資源の確保の面からも狙われている。昨年9月3日付の『東京新聞』で、文科省の有識者会議である「学生への経済的支援に関する検討会」において、メンバーの前原金一が「放っておいてもなかなかいい就職はできないと思うので、防衛省などに頼んで、1年とか2年のインターンシップをやってもらえば、就職というのはかなりよくなる。防衛省は、考えてもいいと言っています」と、いわゆる「経済的徴兵制」導入を提言したことが報道された。彼が経済同友会副代表幹事・専務理事、かつ日本学生支援機構委員でもあることは非常に示唆的だ。30~40年前と比べ私立大学で3~4倍、国立大学では50倍以上にも達する学費暴騰につけこみ、奨学金が悪質な「貧困ビジネス」と化している現実。若者の約半数が非正規雇用を強制される中、奨学金返済滞納者が10年間で約3倍にも増加している現実が戦争に直結しており、またそのためにこそブルジョアジーによって意識的につくられてきたということだ。

 今や戦後大学の、「戦争協力への反省」を原点とし、そのために「大学自治」と「学問の自由」を重んずるとしてきた在り方は決定的に変質しようとしている。「学問の自由」は、「大学の軍事研究協力」への根拠となり、「大学自治」は経営協議会や理事会を通じた国家と独占資本による独裁を意味するようになった。
 田中優子が「『大学の自治』と『思想信条の自由』を尊重してきた」などと自画自賛する法大の現状が、そのことを何よりも雄弁に物語っている。安倍の戦争政治を、実際にキャンパスで翼賛・推進しているのが彼女に代表されるエセ「リベラル」なのだ。
 「反戦・反安倍」を掲げる田中優子は昨年4月に総長に就任して以来、各種メディアで「非正規職の増大」や「格差拡大」をまるで「グローバル化」という名の自然現象であるかのように言いなし、大学はこうした現実に対応すべく「世界のどこでも生き抜けるグローバル人材を育てるために自らもグローバル化しなければいけない」と主張し続けてきた。「大学・学問とはいかにあるべきか」という問いや、学生を取り巻く現状への批判的視点は当然皆無である。それは安倍の「大学改革でグローバル人材を育成し国際競争力強化を行う」という主張と完全に同一であり、要するに、学生を新興国並みの雇用と労働条件を甘受する「安価な労働力商品」として育成することで、大学・教育を日本資本主義の救済手段にせよと訴えているのだ。これは前原の前記「提言」が示すように、「学生の戦争動員」「大学の戦争協力」とも一体の政策だ。
 すでに述べたとおり、田中優子は昨年7月の『法政大学グローバルポリシー』制定など、「大学改革」を推進することで文科省から「スーパーグローバル大学」に認定され、多額の助成金を引き出す一方、本件弾圧を先頭にキャンパスで安倍打倒と「大学改革」反対を訴える学生を国家権力と一体で弾圧してきたのだ。
 本年1月21日には、田中優子体制になって初の「情宣禁止仮処分」申し立ても行われた。「入学試験は『営業活動』であり、大学には『営業権』があるのだから、公道上であれ法大を批判する情宣は営業権の侵害」などとして、情宣の禁圧を国家権力=裁判所に懇願する田中優子の在り方こそ、「大学の戦争協力」の具体的・実践的姿だ。そもそも、大学においてすら「情宣活動(=言論の自由)」よりも「営業(=金もうけ)」が優先されるという理屈がまかり通れば、資本の価値増殖を原理とする資本主義社会において「情宣可能な場所」など存在しない。さらに今年、前記申し立てを受けての審尋で、われわれの情宣が「法大の営業権を侵害しうる」として提出された証拠の中には、全学連が大学入試センター試験で配ったビラも入っていた。ビラに書かれている内容は、「一緒に学生運動をやろう」「闘う学生自治会を復活させよう」という比較的抽象度の高いものであり、直接には法大当局への言及や批判はされていない。しかし、これをも「情宣禁止の根拠」とする田中優子の主張は、純然たる「思想、信条への差別」であり「情宣禁止仮処分」の「政治弾圧」としての性質を示して余りあるものだ。まさに憲法改悪の先取りであり、戦時下弾圧への踏み込みだ。

 田中優子の「戦争政治の先兵」としての本性は、先日のシリアでの日本人人質事件をめぐる情勢で、よりいっそう明らかとなった。シリアでの人質事件は、安倍の帝国主義的政策が招いた当然の帰結だ。アメリカの主導する「有志連合」に加盟し、一貫してイラク・シリアへの空爆と民衆虐殺を支持してきた安倍は、1月16日からの中東・イスラエル訪問においても、石油利権をめぐっての中東侵略(=市場・資源争奪)への参入と、兵器産業振興のために、46社もの名だたる大企業を引き連れて、親米・親イスラエル諸国を歴訪し、さらにISIS(イスラム国)との交戦国に2億㌦もの資金援助を表明した。
 昨年の段階で、すでに日本人2人がイスラム国の捕虜となっていることが判明していたにも関わらず、安倍は国会答弁であけすけに語っている通り、ISISとマトモに交渉すらしていない。安倍は最初から人質を見殺しにし、その死をも利用することで、今国会での自衛隊の海外派兵(中東派兵)と本格的武力行使に向けた安保法制の整備を目論んでいたのだ。
 今回殺害された人質の一人が、法大卒業生である後藤健二さんであることを受けて田中優子が発した声明には、安倍の「あ」の字もない。安倍政治を批判する要素はまったくゼロだ。日頃、ことあるごとに政権への「批判的」言辞を繰り返してきたにもかかわらず、今回の人質事件の最大の原因でもある安倍の中東訪問と「人道支援」を口実としたイラク・シリア侵略戦争の加担への言及がないばかりか、ISISや事件そのものへの具体的言及すらない。せいぜい「いかなる理由があろうと、いかなる思想のもとであっても、また、世界中のいかなる国家であろうとも、人の命を奪うことで己を利する行為は、決して正当化されるものではありません。暴力によって言論の自由の要である報道の道を閉ざすことも、あってはならないことです」と述べているにすぎない。「殺害された人質の母校の総長」という立場で、「たとえ誰がどんな理由であろうが暴力はダメだ」という愚にもつかない「一般論」を述べ、最大公約数的に世論におもねっているだけだ。地球上で最も暴力を組織的に行使し民衆を殺しているのが米軍であること、それを全面的に支えてきたのが安倍政権であることを完全に棚に上げて、だ。
 また、自らが行っているキャンパスでの学生弾圧を無視して、法政大は「民主主義と人権を尊重してきました」などと自画自賛したあげく、ここでも「日本の私立大学のグローバル化を牽引する大学として、日本社会や世界の課題を解決する知性を培う場になろうとしています。その決意を新たにした本学が、真価の問われる出来事にさらされた、と考えています」などと安倍の「大学改革」を翼賛し、その率先推進を宣言している。総じて声明文の内容は、「追悼の意を表す」としているが、まったくその体を成していない。後藤さんの死をも利用した法大の醜悪な売名行為であり、安倍政権の戦争政治への全面屈服の表明だ。こうした田中優子の態度は、まさにこの間、日本共産党の志位委員長が同党国会議員の池内さおりのツィッターにおける「安倍批判の内容」に対し、「政府が全力で人質解放に向け取り組んでいる時に、あのような形で発信することは不適切だ」と非難し、国会では「テロ非難決議」が1名の棄権をのぞき全会一致で採択されたことに明らかなように、人質事件を利用した総翼賛体制化の流れに連なるものだ。
 田中優子は声明文の冒頭で、「本学は、後藤さんが本学卒業生であることを把握しておりましたが、極めて難しい交渉が続く中、今まで報告や発言をさしひかえていました」などと述べているが、当然法大に人質交渉を左右する影響力などない。これはただ単に、法政大学とその総長である自らがもし社会的に焦点化した際、持論の「安倍批判」を行うことが不可能なために、後藤さんの死亡が確認されるまで意図的に「沈黙」を守り続けたということだ。この声明文に象徴されるように、田中優子は人質事件発生以来、急速に「安倍批判」のトーンを落としている。しかし他方で、『翼賛体制の構築に抗する言論人、報道人、表現者の声明』に名を連ね、ますますそのペテン性をあらわにしている。もし「翼賛体制に抗する」のであれば、一言でも安倍の中東歴訪を批判してみよ、一言でも政治家・マスコミを先頭にした「テロ弾劾」の大合唱を批判してみよ、ということだ。しかし、警視庁公安部と結託してキャンパスでの学生弾圧に血道をあげる田中優子には、絶対にそんなことはできないし、毛頭やるつもりもない。法大=田中体制こそ、安倍の大学支配の最も悪質な形態だ。

 今、われわれは、これまで「国家権力の介入を退けるもの」として一般的に通用してきた「大学自治」や「学問の自由」といった概念が、「大学改革」の中で逆に国家による大学支配と戦争動員の論拠にされようとしている状況に直面している。田中優子に代表される既成「左翼」は、こうした状況に与して「大学改革」には賛成だが、「改憲・戦争には反対」などとペテンを弄し、安倍の戦争政治を「左」から補完している。法大闘争はこうした「知識人」どもの欺瞞を許さない路線・団結を2006年以来の闘いで培ってきた。資本主義の最末期形態である新自由主義を対象化し、打倒対象として規定することで、資本主義の延命を許す立場に立つ限り、どこまでも腐敗していかざるをえない既成「左翼」の本質を暴きだしてきた。そして、田中優子や山口二郎(法大教授)などが提示する「お願い路線」や新自由主義イデオロギーがまき散らす「能力主義」と「自己責任論」をのりこえ、学生の「一人の仲間も見捨てない」団結にのみ依拠することで、キャンパスで大学当局・国家権力と非和解的に闘うことを可能とした。
 その地平は、昨年11月に京都大学キャンパスで公安警察を摘発した京大同学会の闘いが示す通り、「闘う自治会の復権」として全国化しつつある。法大闘争の爆発、闘う学生自治会の復権こそが、安倍と既成「左翼」による大学の新自由主義化と戦争動員を粉砕する道だ。今、その反動として同学会のリーダーである作部羊平君が不当起訴され、福島大学では福大生の決起に追い詰められた福大当局・警察権力が、4周年の「3・11郡山闘争」への予防弾圧として、2月3日に学友一人を不当逮捕している。これらの弾圧は、本弾圧と完全に一体の戦時下弾圧である。

 本公判は、法大当局と公安警察の醜い癒着からも示されるように、私の「暴行」事件を裁くものではない。戦争へ突き進む国家とそれに加担する大学が、それに立ちはだかる学生の闘いを暴力的に圧殺するために仕組んだ「裁判」という名の茶番だ。裁かれるべきは法大当局・警察権力だ。いま問われているのは、裁判所が戦時下弾圧に加担し、「かつて来た道」を歩むか否かということだ。裁判所が示すべき判断は「無罪」以外にありえない。裁判所はただちに公訴棄却、もしくは無罪判決を出せ!
                                          以上。
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