法政大学/学生運動/斎藤いくま公式ブログ
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原発いらない!福島県民大集会が3月11日に開催され、原発反対運動に実際に参加してきました。
一年前、多くの被害を出した地震が起こりましたが、私はテレビで津波の被害を延々と流されることに対して大きな感情を抱けず、あまり自分とは関係がないと思い映像を傍観しているだけでした。
しかし、当事者の気持ちを想像したり放射能の危険性を様々なメディアで警告されているのを聞いているうちに、私も完全な傍観者でいられる人間ではないのだと気付きました。同じ日本に住んでいるのだから他人事として生活を続けるのではなく、危険性に疑いを持ちつつも現地に行ってその地で暮らす人々の思いを少しでも理解できたらと思うようになり、福島に行くことになりました。
実際に行ってみると現地の様子は思ったよりも静かで本当に放射能は危険なんだろうか、と疑問にもつ時間が多かったのですが、運動では様々な立場の人が怒りを表現していてとても悲しい気持ちになりました。原発さえなければ不快な感情を生むこともなかったのだろうか、と思うと居た堪れない気持ちになります。その場に参加することしかできなかった私ですが、それでも現地に行って自分の目で福島を見れたことは自分にとって大きな一歩だったのかもしれないと思うことが、過去の私が福島を傍観していたという罪悪感からの救いになっています。
福島を見たということしか出来なかったですが、多くの人が原発問題に関連した行動を始めているこという事をアピールできたのであればよかったと思いました。(岡山大生)
一年前、多くの被害を出した地震が起こりましたが、私はテレビで津波の被害を延々と流されることに対して大きな感情を抱けず、あまり自分とは関係がないと思い映像を傍観しているだけでした。
しかし、当事者の気持ちを想像したり放射能の危険性を様々なメディアで警告されているのを聞いているうちに、私も完全な傍観者でいられる人間ではないのだと気付きました。同じ日本に住んでいるのだから他人事として生活を続けるのではなく、危険性に疑いを持ちつつも現地に行ってその地で暮らす人々の思いを少しでも理解できたらと思うようになり、福島に行くことになりました。
実際に行ってみると現地の様子は思ったよりも静かで本当に放射能は危険なんだろうか、と疑問にもつ時間が多かったのですが、運動では様々な立場の人が怒りを表現していてとても悲しい気持ちになりました。原発さえなければ不快な感情を生むこともなかったのだろうか、と思うと居た堪れない気持ちになります。その場に参加することしかできなかった私ですが、それでも現地に行って自分の目で福島を見れたことは自分にとって大きな一歩だったのかもしれないと思うことが、過去の私が福島を傍観していたという罪悪感からの救いになっています。
福島を見たということしか出来なかったですが、多くの人が原発問題に関連した行動を始めているこという事をアピールできたのであればよかったと思いました。(岡山大生)
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