法政大学/学生運動/斎藤いくま公式ブログ
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「言葉の力」というものがある、とよく言われます。しかし、これは本当でしょうか?「言葉」は本当に力を持っているのでしょうか? 声は音の振動であり、文字は紙の上のインクです。それらは、質量としては微々たるものです。
「言葉の力」と言われるとき、それはいつも、人の行動で何かが変わったとき、または変わっていくときに使われることが多いことはみなさん知っていることでしょう。つまり、「言葉の力」は現実には「人間の力」なのです。言葉の持つ意味が、それだけでは何の意味も持たないその意味が、人間の力を引き出したときだけ、それは「言葉の力」と呼ばれるのです。それは人間自身が内に秘めていた力であり、人間の可能性のひとつの発露であって、決して言葉そのものの力ではありません。言葉は潤滑油にすぎず、世界を動かしているのはいつも人間です。
偉そうに批評したり、あきらめの言葉をもらしたり、それらをいくらやっても何も変わりません。なぜならそれは人間自身の力と結びつかないからです。現代には、批判のための批判が多すぎます。批判の本質は「間違っていると思うことへの怒り」であって、その結論は「間違っていると思うことを正すこと」です。行動なき批判とは、自己満足です。
今、学生は未来を奪われています。明らかに私たち学生のせいでないにも関わらず、不況のあおりを受け、不安からいっそう就職のためだけにひたすら粛々と毎日を過ごし、最も人間性を豊かに育て上げる時期である学生時代を台無しにされています。それにも関らず学費だけは上がり続け、親は苦しめられている。その学費はどこにいっているのかと思えば、たとえば法政大学では学費の40%はマネーゲームに流れている。それでも自らの未来のために大学に通えば、奨学金という名の借金づけにされ、展望の見えない社会に放り出される。未来を展望するはずの場所で未来を奪われる、この現状はいったいなんなのでしょう?
私たち学生は、今こそ声をあげなければなりません。声を行動にしなければなりません。それを結集し、私たち自身の軸を創り上げなければなりません。そして、この現状を変革しなければなりません。もはや去りゆく老人たちが過去ならば、私たちは未来です。だから、学生が団結すれば負けません。共に闘いましょう。
全学連大会への結集をお待ちしております。
「言葉の力」と言われるとき、それはいつも、人の行動で何かが変わったとき、または変わっていくときに使われることが多いことはみなさん知っていることでしょう。つまり、「言葉の力」は現実には「人間の力」なのです。言葉の持つ意味が、それだけでは何の意味も持たないその意味が、人間の力を引き出したときだけ、それは「言葉の力」と呼ばれるのです。それは人間自身が内に秘めていた力であり、人間の可能性のひとつの発露であって、決して言葉そのものの力ではありません。言葉は潤滑油にすぎず、世界を動かしているのはいつも人間です。
偉そうに批評したり、あきらめの言葉をもらしたり、それらをいくらやっても何も変わりません。なぜならそれは人間自身の力と結びつかないからです。現代には、批判のための批判が多すぎます。批判の本質は「間違っていると思うことへの怒り」であって、その結論は「間違っていると思うことを正すこと」です。行動なき批判とは、自己満足です。
今、学生は未来を奪われています。明らかに私たち学生のせいでないにも関わらず、不況のあおりを受け、不安からいっそう就職のためだけにひたすら粛々と毎日を過ごし、最も人間性を豊かに育て上げる時期である学生時代を台無しにされています。それにも関らず学費だけは上がり続け、親は苦しめられている。その学費はどこにいっているのかと思えば、たとえば法政大学では学費の40%はマネーゲームに流れている。それでも自らの未来のために大学に通えば、奨学金という名の借金づけにされ、展望の見えない社会に放り出される。未来を展望するはずの場所で未来を奪われる、この現状はいったいなんなのでしょう?
私たち学生は、今こそ声をあげなければなりません。声を行動にしなければなりません。それを結集し、私たち自身の軸を創り上げなければなりません。そして、この現状を変革しなければなりません。もはや去りゆく老人たちが過去ならば、私たちは未来です。だから、学生が団結すれば負けません。共に闘いましょう。
全学連大会への結集をお待ちしております。
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